『思想地図』発刊記念シンポジウム 「公共性とエリート主義」

6月16日(月) 第38回 紀伊國屋サザンセミナー 『思想地図』発刊記念シンポジウム 「公共性とエリート主義」 新宿・紀伊國屋サザンシアター(新宿南店7F) 出演:東浩紀北田暁大姜尚中宮台真司鈴木謙介


おもしろかった部分のまとめ。テーマ別。ほとんどが宮台真司東浩紀のどっちかの発言です。適当に(ついうっかり誰も言ってないことを)書いてしまっている部分もあるかもしれません。


エリートとは何か

  • 今の時代にエリートが必要だとしたら、それはライ麦畑で遊ぶ子供達が崖から落ちないように見張るキャッチャーのようなもの。
    • 一部のエリートがキャッチャーの役割を果たし(設計主義的に環境をコントロールし)、それ以外の人は政治とか社会のアーキテクチャのことは考えずに(動物化したければ自由に動物化して)生活できるのが理想。
      • 宮台真司はエリートを増やすべきだとは言ってない。エリートとしてシステムを設計する人間がいる必要がある、ということを言ってる)
      • 過去に求められたような、大衆を動員する前衛としての党のようなエリートはもう必要じゃない。


誰がシステムをチェックするのか(←宮台真司東浩紀の対立点)

  • 社会を設計するのは人(エリート)であるべきかシステム(情報技術)であるべきか、という点で宮台真司東浩紀が対立していると思われているけど、人かシステムか、というのは意味がない。人をつくるのもシステムだから。*1
    • そのシステム(社会設計)が適切かどうかをどう(誰が)チェックするか、というのが問題。
      • 宮台真司の主張:人がチェックするべき。
        • → そのために誰かが全体性を代表する必要がある(その人は実際には恣意的なものにコミットメントしてるんだけど、そのことは隠して全体性を代表することになる)。
      • 東浩紀の主張:システムがチェックするべき。
        • → オタク的な知(断片的だけど詳細な知識)を持っている人はけっこういる。そういう知をシステムが集めて社会を回せばいい。
        • 宮台真司の反論:どの知がどれだけの権利を持つかっていう権利問題は、全体性を代表する人間が関わらないと決められない。
        • (例外状態(例外状況)になったときに、人が全体性を代表しているならその人が対応すればいいんだけど、システムが社会を回していた場合、そのシステムは例外状態に対応できるのか、っていう問題提起があったような気がするんだけど、どうなったか覚えてない)


全体性について

  • 人が全体性を認識することができないのは当たり前。
    • それでも人に全体性を代表させるのか、させないのか(←宮台真司東浩紀の対立)。
  • 全体性の定義
    • カール・シュミット「政治的なるものの概念」によれば、政治の定義は「友と敵を区別すること」。それで、社会の全体性を代表するというのは、どこまでが友でどこからが敵かという線を引くこと。*2
      • (シュミットを引用してデリダが言っているのは、友と敵との境界を壊せ、ということで、すべての人を友にしろと言っているわけではない。それで、その境界を壊すためにも、システムが社会を回すほうがいいってことを、東浩紀は言ってた?)


グローバリゼーション対策

  • グローバル化と個人が直接向き合ってしまえば、個人がそれに耐えられるわけがない。だから、社会設計によって、グローバル化と個人の間に緩衝剤を作らなくてはいけない。
    • グローバル化と個人の間に緩衝剤がある社会 = 厚みがある社会。
      • 厚みのある社会 = 家族、地域、結社における相互扶助がある社会。友達や味方を作りやすい社会。
      • グローバル化が進むと、放っておけば社会はどんどん薄くなってしまう。
    • ニート支援(とかワーキングプア支援とか)も、グローバル化と個人が直接向き合わないために必要とされている。
      • EUでは(そのことがちゃんと理解されているので)、ニート支援というのは、社会の分厚さを保つため(社会の自立を促すため、社会が国家に依存しなくてすむようにするため)に行われている。
        • 日本ではそのことが理解されていないので、ニート支援は個人の自立を促すためのものになっている。


ナショナリズム

  • ナショナリズムというのは、公共性を動機づけるもの。社会、政治を自分と結びつけるもの。
  • ナショナルなものもしんじゅう主義(心中主義? 臣従主義? 神獣主義? 心情主義? 市場主義? 至上主義?)も生存の条件。
  • 姜尚中ナショナリズムについて考えるとき、動員の問題を抜かすわけにはいかない。

感想:システムに任せればうまいことやってくれるよっていう東浩紀の考え方は、ハーバーマス的な感じがした。コンピュータの計算能力という理性に対する信仰があるっていうか。

*1:宮台真司が言って、東浩紀は、システム論で考えればそれはそうなるけど、でもやっぱり違うよ、っていう感じだったと思う。

*2:というのが東浩紀が言った「全体性」の定義。宮台真司は「全体性」の定義を言ってない。